梅雨で滴る

 6月に入りもう梅雨の季節で、半袖でも生活できるような時期に入った。なんかここ数年で時間の流れがかなり加速したように感じる。この前まで寒い寒い言ってた気がする。5月の気だるさも抜けきらないまま時間だけが過ぎる。

 

 この前ペットショップで猫を見ていたら、店員さんに「抱っこしますか?」と言われて、抱っこすることになった。この世の生物とは思えない可愛さだった。それからというもの、猫を飼いたくてたまらない。あの店員さんのマーケティングにうまくはまってる気がする。

 

 今年に入って電車に乗ることが増えた。毎日同じ時間帯の電車に同じ乗客。その電車に乗ったらここ!って言う定位置があったのに、最近は毎日同じおっさんが絶対その定位置にいるからやりきれない気持ちで渋々扉付近に立っている。だから朝はそのおっさんと定位置を巡って勝負しないといけないのだ。妥協すれば解決するが、なんとなくそのおっさんに負けた感じがするからこれからも定位置争奪は諦めないつもりだ。

 

 たぶんあっという間に夏が来て蝉のやかましい声に苛まれることだろうと梅雨も入ってまだそんなに経っていないが思ってしまう。じめじめした気候と空気感でダラダラしそうだ。ぼろぼろと零れて無くなっていく時間を一つ一つ無駄にしないように生きていく。

祭りのあとの

 ゴールデンウィークも終わり、祭りのあとの静けさみたいな空気に包まれて、何もなかったかのように苦と隣合わせの日常が始まる。

 

 今年のゴールデンウィークは毎年のそれとは違って、少し疲れた。何処かに遊びに行ったりはしてないが、無駄な時間は過ごしてない。と思いたい。GWは必ずしも遊びに行くことでのみ意義がある訳ではないと強く訴えたい。無駄な時間は過ごしてないと自分に言い聞かせる。

 

 人より傑出した人でも、無能で怯える人でも等しく死が訪れる物語が好きだ。生きてほしいと願う登場人物が呆気なく死んでしまい、それから劇的に復活みたいな展開もない、ただただ死についてリアルに描かれている物語は個人的にすごく美しいと思う。生命の儚さを感じ、自分も同じくその儚い命を抱えて生きていると思わせてくれる。より一層簡単に死んだらだめだと思えてくる。

 

 ゴールデンウィークの話に戻す。

 

旅行に行った家族、長期自宅学習になってしまった学生、人それぞれが思い思いの連休を過ごした事だろう。なにも連休だけが休みじゃないわけで、平日にも休息の時間は探せばどこかにある筈だ。多分何処かに埋もれてる。

七つの大罪

 七つの大罪と言えば聞いたことがある人も多いだろう。自分はその中で言えば、圧倒的に怠情である。つまり大罪を犯している。面倒臭いとか物事に意味を見いだすとたちまち怠惰の権化と化すのである。

 

 大罪なんて言い方してるけど、その大罪を一つも犯してない完璧な人間はどこか、人間味に欠けている気がしてならない。欲のない人間はおそらく何もしないし、何も出来ない。そいつらと上手く共存する必要があり、人間性を構成する上で必要な要素なのである。自分の一部であるが故に、呪いみたいに付き纏う。気に入らないことがあれば、妬み、憤怒し、威張り散らすのだ。

 

 穏やかで達観している人であれ、美醜を含んだ複雑な感情を抱えている。今も自分の中で七つの大罪が犇めき合って、表へ出ようとする。

砂時計

 自分はあまり友人が多いほうではないと思っている。多分そうだろう。今まで何百人と出逢ってきて、今ちゃんと話したりする人数は片手で足りてしまう。幼稚園から高校までに出逢ってきた大体の人数から計算すると、その中で「友人」と呼べる人は1%ぐらいだった。他の人がどうかは知らんが、友人なんてそんなもんだ。片っ端から誰でも友人だと言うのなら、もう少しいるだろうが、そんなことは無い。知らず知らずのうちに出逢った人の中で淘汰された人を友人と呼んでいるのだ。どんな綺麗事言ったって、みんな選んでる。そんなもんだ。

 

 SNSのフォロワーの人数=ステータスだと思っている人がいるが、果たしたそれはいかがなもんだろうか。そんな数字に執着したって、実際話すのはその極わずかではないだろうか。それに全く羨ましいとか思わない。別に多いのが悪い訳じゃないけど、その数値でもってしたり顔でいられても困る。

 

 どんな所にいても、人との繋がりを怠らない世の中で、世知辛い思いをしたことがないと言えば嘘になる。何でこんなこといちいち複数人でやるんだよと思うこともいっぱいあったし、グループ作れで困ったこともあった。でもそんな中でもまだ友人と呼べる人が何人か残っている。今まで幾度となく疎遠を繰り返した。いつかまた、今いる数人もどっか行っちゃうんじゃないかとか思ったりする。そうなった時自分はどうするだろうと考える。多分そんなにしつこく追いかけないだろう。去る者追わずのスタイルがここ数年で体に染み付いてしまった。1人でいる時間が好きだが、別に人を嫌ってる訳では無い。寡黙な性格してるから、多分話しかけずらいんだと自らを自己分析したりして、努力はしたがやっぱりそう簡単に性格は変わらなかった。それでも生憎、そう言う性格の自分が嫌いな訳でもない。周囲にどう思われようが知ったことではない。所詮自分の周りは大体が他人だから。それに気楽だ。人間関係のしがらみから解放されている分、他の人よりストレスが少ないんじゃないだろうか。多分、何言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだろうな。

 

 今、出逢ってきた何百人は何処で何をしてるのだろうか。もう随分話さなくなったあいつは何をしてるのだろうか。疎遠になった人達は砂時計の下に落ちていった砂だ。砂が落ちきっても尚、落ちずに上に残った砂を俺は大事にしたい。

暗い暗い日

 目を覚ますと、外は曇天。何となく頭が痛い。

 

 

 僕はあまり朝食を食べることができない。トーストを一口食べたら、次の一口に時間がかかる。コーヒー1杯で終わることもしばしば。それでもなんとか押し込んで胃に入れる。

 

 

 自分の都合やらその日の気分で手の平を返すような奴に振り回されて、疲れきって深くソファーに腰を下ろす。何やってんだろうなって時間の浪費だったと後悔する。

 

 

 やたらと自分の周りに敵をつくりたがる人が理解できない。わざわざ叩く対象を探して、本人に直接言えないくせに罵倒する。本当に馬鹿だと思うよ。

 

 

 

 明日はもっといいに日になると思って目を瞑る。たまにどん底まで暗くなる自分に嫌気がさす。もっと楽観的に享楽的に上手に生きていきたい。

かわる

 ずっと暮らしてきた町や友人が時間の流れの中で自分の知っているものとは違うものに変わっていく。「あそこのコンビニなくなったのか」とかそう言う目に見えるものが、潰れては新しくなっての繰り返しが時間の流れを感じさせる。

 

 人の意外な一面を見た時、仮初めの警戒心を抱く。関係は近ければ近い程、嫌な部分が大きく見える。それを見た時人は、「こいつも変わったな」と言うのだ。

 

 変わっていくものに対する一抹の 寂しさと不信感に振り回されながら、今日も刻一刻と変わり続ける。町も友人も、また自分も。