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砂時計

 自分はあまり友人が多いほうではないと思っている。多分そうだろう。今まで何百人と出逢ってきて、今ちゃんと話したりする人数は片手で足りてしまう。幼稚園から高校までに出逢ってきた大体の人数から計算すると、その中で「友人」と呼べる人は1%ぐらいだった。他の人がどうかは知らんが、友人なんてそんなもんだ。片っ端から誰でも友人だと言うのなら、もう少しいるだろうが、そんなことは無い。知らず知らずのうちに出逢った人の中で淘汰された人を友人と呼んでいるのだ。どんな綺麗事言ったって、みんな選んでる。そんなもんだ。

 

 SNSのフォロワーの人数=ステータスだと思っている人がいるが、果たしたそれはいかがなもんだろうか。そんな数字に執着したって、実際話すのはその極わずかではないだろうか。それに全く羨ましいとか思わない。別に多いのが悪い訳じゃないけど、その数値でもってしたり顔でいられても困る。

 

 どんな所にいても、人との繋がりを怠らない世の中で、世知辛い思いをしたことがないと言えば嘘になる。何でこんなこといちいち複数人でやるんだよと思うこともいっぱいあったし、グループ作れで困ったこともあった。でもそんな中でもまだ友人と呼べる人が何人か残っている。今まで幾度となく疎遠を繰り返した。いつかまた、今いる数人もどっか行っちゃうんじゃないかとか思ったりする。そうなった時自分はどうするだろうと考える。多分そんなにしつこく追いかけないだろう。去る者追わずのスタイルがここ数年で体に染み付いてしまった。1人でいる時間が好きだが、別に人を嫌ってる訳では無い。寡黙な性格してるから、多分話しかけずらいんだと自らを自己分析したりして、努力はしたがやっぱりそう簡単に性格は変わらなかった。それでも生憎、そう言う性格の自分が嫌いな訳でもない。周囲にどう思われようが知ったことではない。所詮自分の周りは大体が他人だから。それに気楽だ。人間関係のしがらみから解放されている分、他の人よりストレスが少ないんじゃないだろうか。多分、何言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだろうな。

 

 今、出逢ってきた何百人は何処で何をしてるのだろうか。もう随分話さなくなったあいつは何をしてるのだろうか。疎遠になった人達は砂時計の下に落ちていった砂だ。砂が落ちきっても尚、落ちずに上に残った砂を俺は大事にしたい。