博識、そして慧眼

 8月も残すところ数日になってしまった。それでもまだまだ暑い。熱中症には気をつけたいところだ。

 

 何かを楽しむにあたって、必要なこととは何なのか。ゲームにせよスポーツにせよルールというものがあり、そのルールに則って楽しむ必要がある。無秩序に好き放題やっても仕方がない。何か制約があるからこそ、そこに競争が生まれフェアに楽しむことが出来る。つまりルールに則るとは「楽しむ」ことに繋がる。しかし、幅広い知識、それに通づる目を持っていないと「充分に楽しむ」ことはできない。たとえば美術鑑賞。ただ眺めるだけではその作品のすごさは伝わらないし、知識がなければ価値も分からない。充分に楽しむためには美術家としての目が必要なのである。

 「楽しむ」ためには、一般技能や基礎知識だけでは踏み込めない領域が存在することを理解し、その領域に到達するまでの知識が必要なのだ。さりとて、充分に楽しむことができない人間は楽しんでいるとは言わないと言いたい訳では無い。「充分に楽しむ」ことが出来なくても、「思う存分楽しむ」ことが出来ればそれでいいという人は世に大勢いることだろう。自分もその大勢に属する。ただ、同じ趣味でも次元の違う人間同士では、食い違いも致し方ないと思うわけである。

 楽しむことを他人と共有することは容易ではない。する必要も無いと感じたことがあって、それ以来友達に趣味を言うことはしなくなった。共有するのではなく、同じ趣味を持った人を探す。だから、友達に何かを勧められるとか、強要されてもやる気にはならない。勧められたものを「楽しむ」知識や目を養うことができるとは思えないからだ。興味をそそらないものならなおのことだ。

 

 今年の夏は映画に行ったことと本を読んだことぐらいしか記憶にない。まあそれも、自分なりに夏を楽しんだ結果だ。